4日目 215日 

 

翌朝、チェックアウトの時、おばちゃんが300ペソよこせと言ってきた。はぁ?あんた昨日700ペソって言ったやん。何故そうなる?とおばちゃんに食ってかかると、「伝え間違えた」と。ふざけるな、あんたのミスだろうが。私は払わんぞ。あんたに払う金はない。と、怒りをあらわにする。しかし、おばちゃんはにやにやと「ごめんなさいねぇ」と言うばかり。らちがあかないと思った僕は根負けして300ペソ払った。朝から最悪の気分だ。今日はとことん平地を走る。朝ご飯をフィリピンの国立大学前の屋台で食べることにした。そこの若いおねーさんが店を出るときに話しかけてきた。「あなた、日本人?自転車だけでマニラから来たの?すごいわぁ!ねぇ、セルフィーお願いできるかしら?」もちろん大歓迎である。自然に伸びてくる鼻の下を必死に縮めながらパシャリ。実はこれ、人生初の女子とのツーショットである。さて、これで気分はサイコーだ。鼻歌を歌いながら一路、北へ向かう。さて、今日はどこへ行こうか。そうだ、フィリピンの海が見たいな~よし、この先の道を右へ曲がって、シエラマドレ山脈を越えればフィリピン海だ!googleマップで見ると、海岸線は結構人口少ないな。これは、キャンプできるかもしれない!期待に胸を膨らませながら自転車を漕いでいると前方にサイクリスト発見!追撃します!ぎゅいぃぃぃーんっ!という感じでおふざけしながら後を追い、追いついた。レーシングジャージを着ているからロードバイクに乗っている人かな?と思ったがそこはフィリピン。MTBで朝練だ!軽く自己紹介をした後、しばらく一緒に走った。その人たちは50km先のトゥゲガラオに行くという。私は北のトゥゲガラオではなく、東のシエラマドレの方に行くことにしていたので途中でお別れした。時刻は10:00。すでに太陽は高く昇り、じりじりと私の肌を焦がす。サングラスをしていてもまぶしく感じる。「日焼け止め、持ってこれば良かったな」後悔しても遅い。1時間くらい同じ景色の中を走る。と、急にハンドルが低くなった。パンクだ。やれやれと思いつつ、木陰でパンク修理をする。どうやら村の近くだったらしく、子どもたちが4~5人集まってきた。疲れていたので笑顔を向けるだけでこちらから声を掛けることはしなかった。子どもたちも私のパンク修理作業をじっと見つめていた。修理が終わり、再び走り出そうとしたとき、後輪に違和感を感じた。何ということだぁぁ、後輪もパンクしているぅぅ!!!後輪のパンク修理をしているときも子どもたちはじっと見つめているだけだった。恥ずかしがっているのかな?とにかく、修理を終えた僕は殺人的な太陽光線の下、かつてはジャングルだった牧場地帯を走る。激しいアップダウンがさらに私のHPを奪う。一番高い丘の上で休憩しようと芝生の上に座り込むと敷地内で水浴びをする水牛が目に入った。写真を撮ってから走り出す。1時間くらい走っただろうか、次第にアスファルトの上に砂利が浮かんできた。気にせず走ると急に交通渋滞が現れた。この道の先で工事が行われているのは明白だ。だが進む。そしてついに工事現場についた。そこは、泥道だった。仕方なく私は自転車を押して歩いて通り過ぎた。しかし、工事区間を出ると愛車のTREVISOはタイヤとフォークの間に大量の泥を巻き込み、とてもじゃないが走れる状態ではなくなっていた。幸いにも近くに民家があったので水を使わせてもらうことにした。ここの家族はとても親切で、私に井戸を使わせてくれただけでなく、バナナや飲料水までくれた。私はしばらくその家族と話していたが、今からどこへ行くのか尋ねられた。私はこの先のシエラマドレ山脈を超えてルソン島東海岸に出るつもりだという事を伝えた。すると、

 

「シエラマドレ!1人で行くのか!?複数人で行くなら止めやしないが、1人なら絶対に行ってはいけない。あそこはライフルを持った強盗が出るぞ!引き返しなさい。」

 

と言われた。ここは私が初めて訪れる土地、事前情報も十分ではない。そんな状態でこのウワサは信じるほか無い。たとえウワサであってもその危険性が少しでもあるなら避けるべきだ。命をかけてでも見てみたい海じゃない。忠告通り私は元来た道を引き返そう...と思ったがそれは私が一番嫌いなことだ。マップで道を確認し、行きとは違う道で今朝出発した町に到着した。時刻は現地時間19:00。とにかく眠りたかった私は目についたホテルに泊まった。一泊1000ペソ。当時の私にとっては目ン玉が飛び出るくらい高価だったが仕方なく一泊した。

 

人生初の女子とのツーショット!!!

急に現れた泥道。おまえ、国道としてのプライドはないのか!!
急に現れた泥道。おまえ、国道としてのプライドはないのか!!
まぁ、当然こうなりますわな 海外走るにはディスクブレーキ必須!?
まぁ、当然こうなりますわな 海外走るにはディスクブレーキ必須!?
水やバナナを恵んでくれた。忠告もしてくれた。ありがたいっ!!!!
水やバナナを恵んでくれた。忠告もしてくれた。ありがたいっ!!!!

5日目 2月16

今日はルソン島中部の平野をひたすら北に行く予定だ。きわめて平和なルートだ。故に、この日が運命の分かれ道になるとは全く想像していなかった。

今日の見所としてはイラガン・ジャパニーズ・トンネルという観光地くらいだ。ここは第2次世界大戦中、日本軍が作ったトンネルを戦争の記憶として現代まで保存している。フィリピン人が日本人に対してどのような印象を抱いているのかを知るいい機会だと思ったのだ。昨日と同じように照りつける太陽にぶつくさ不平をこぼしながら北へ向かう。途中、イラガン市と言う街に着いたのが13:00頃。休憩もかねてゆっくり観光しよう。ここにはイラガン・ジャパニーズ・トンネルという日本に関係のある観光地があるらしい。そこには鳥居があったり、零戦のレプリカが置いてあったり、ちょんまげ姿の着物を着た男の像があったり、龍の像があったり、ちょっと中国が混じっているが、なんとなく日本を連想させる公園だ。看板によると、どうやら着物の着付け体験をやっているようだ。着物を着ている人を見ると左前だったり、異常に帯をきつく閉めている女性がいたりと、外国人の着物あるあるを見事に達成しており微笑ましかった。 

そして、Japanese Restaurantと銘打った店があったので、どれくらいの「なんちゃって日本料理」が出てくるか気になったので店に入ってみた。店内はどう見ても中国風で和風というには内装が赤色すぎた。沖縄の首里城を和風の建物だというならこの店も和風だろう。しかし私は断じて認めない。さて、そんなことよりメニューだ。カツ丼、各種ラーメン、たこ焼き、卵焼き、お好み焼き、イカ焼き(!)など、日本人には馴染みがある名前が並ぶ。(イカ焼きは知らない)とりあえず私はカツ丼を頼んだ。食事が出てくるのを待っていると、コックの格好をした60代後半くらいのおじさんが出てきた。「君は韓国人か?」

と聞かれたので、「日本人だ。」

と答えるとたちまち顔をくちゃくちゃにして「そうかそうか、日本人か」

と喜んでくれた。そこからおじさんは片言の日本語でいろいろしゃべり始めた。自分は日本に35年間住んでいて、今は日本人の妻とフィリピンで生活していること、ここでしばらく店を開けていたが、日本人が久しぶりに来たことがとても嬉しいことなどなど。そんなこんなで楽しくおしゃべりをしている内に料理が来た。おじいさんはバイトの娘に何か言われていた。「おしゃべりばっかりしてないでちゃんとやってください!」とでも言ってるんだろうか?

さて、料理だ。私の頼んだものはKATUDONだ。しかし、目の前にあるソレはカツ丼とはほど遠いものだった。私は認めない。ご飯の上に鶏の照り焼きが乗せられたものをカツ丼だとは絶対に認めない。味はそこそこおいしかった。私は非常に愉快な気持ちになった。カツ丼でこれなら、他の料理はどんなものなのだろう?私はつい、2品目にMISO RAMENを頼んでしまった。果たしてどんな味噌ラーメンが出てくるのかな?存外、ソレはフツーに日本の味噌ラーメンだった…麺を除いては。直麺で、箸でつかむと簡単にちぎれる。逆にどうやったらこんな麺ができるのか不思議だ。

私はこの落ち着いた雰囲気のイラガン市が気に入ったのでここで一泊しようとした。しかし、何ということだろう、私は橋の下にテントを張ろうとしていたのだが、橋がない。聞くと、大雨で流されたのだという…

私は大回りして国道の大きな橋を通り、もう一つ向こうの町に行って寝床を探してみることにした。日もだいぶ傾き、私はようやく寝床を見つけた。これまたいい感じの橋を見つけた。なぜまた橋かって?橋のたもとは人通りが少なく、雨もしのげるため、ちょうど良いのだそして、テントを張り、近くの民家でシャワーを借りて歯磨きをし、寝るところだった。テントの外に人の気配を感じたので外に出てみると、若い男達が数人集まり、その中の一人はライフルを持っていた。マズイ。強盗か?緊張が走る。とりあえず先に声をかけて自分は無害でビンボーだという事を話そうと声をかける。話をすると、ここは危ないからここで寝るな!強盗が出るぞ!ホテルに泊まれ!とのこと。なんと、優しい人たちだ。しかし私はホテルに泊まるだけの十分な金を持っていなかった。金がないことを伝えると、「じゃあ、警察署に行ってこい、警察署だったら泊めてくれるだろう。とのことだったので、ちょっと行ってみることにした。しかし、携帯の電池は切れ、警察署の場所が分からない。最寄りのデパートのライフルを持った警備員らしき人に警察署はどこか?と聞いてみた。警備員はトライシクルのオヤジになにやら話しかけ、私にこの男に付いていくように、と言った。トライシクルのオヤジはバックミラーをろくに確認せず、僕なんていないかのように加速していく。私はちぎられないように疲れた足に鞭打って走った!

遠慮なく走るトライシクルを追いかけること10分、立派な建物の前に着いた。トライシクルのオヤジはバイクの上から指で警察署はここだと指し示し、行ってしまった。

 警察署には私服の人や制服に身を包んだ人が数人いた。私は挨拶をし、自分が日本から来たこと、お金がないからホテルに泊まれないことを説明した。皆「そうか、そうか、日本から来たのか、ナカムラ、ワサキキ(カワサキ?)、ホンダ!!!」と知る限りの日本語を羅列し(恐らく)歓迎してくれた。「もうすぐ所長が来るから挨拶するんだぞ。」と言われた。しばらくすると、私服の運転手付きのトヨタ、セダンタイプの車に乗った恰幅の良く、目つきの鋭いおじさんが奥さんと一緒に降りてきた。私は周りの人に連れられて所長の前に立った。所長は怪訝な顔をしていたが、私が自己紹介をするとにっこりと笑って「ようこそ、今日はどうしたんだい?」と聞いてきた。すると、周りの人たちが堰を切ったように、それぞれが口々に僕の状況について説明しだした。所長は一度に皆が喋るので困ってしまったようだった。私は所長に「ご飯はもう食べたのか?パーティーに参加しないか?」と聞かれた。私は元気よく、「まだ食べていません!腹ぺこです!」と答えた。すると署長は私の肩をポンポンとたたき、僕を署内に案内した。署内には拘留施設があり、人が入っていた。何をやらかしたのだろう、少々気になり、同時に軽く怖くなった。

裏庭でパーティーの準備が始まっていた。長机の上に敷かれたバナナの葉。その上に堤防のように色つきご飯とティラピアの姿焼き、何かの赤じそ漬けのようなもの、ゆでコーン、ピクルス、その他ぐちゃぐちゃ() いや、おいしかったですよ。

隣のおっちゃん曰く、これはフードファイトと言うらしい。音楽のリズムに乗りながら手づかみでご飯を口に運ぶのだ。僕が勢いよく食べ始めると周りの人たちが大爆笑、「タケ、いいぞぉ!もっと食え!もっと食え!わっはっはっは!」てな感じだ。いつの間にかケータイで動画とか写真を撮ってくれていた。実に楽しかった

 

一時間ほどかけてこれを食べ終えると、所長の挨拶が。どうやらこのパーティーは新任警察官のウェルカムパーティー兼警察官カップルの結婚祝いだったようだ。タガログ語でよく分からなかったが、雰囲気だけでなんとなく分かった。後になって英語で聞いてみたので確実だ。それが終わると今度はカラオケマシーンの登場だ。一緒に大量の大根の漬け物、ミルクフィッシュの塩焼きが出てきた。おなか一杯になって動けなくなってしまった。署員に連れられ、署員と同じ、二段ベットで寝た。心地よい風が日焼けで熱くなったぼくの体を冷やしていった。

認めん、認めんぞ、断じて認めん。これはカツ丼では、無い。
認めん、認めんぞ、断じて認めん。これはカツ丼では、無い。
洪水で流された橋。水牛が見える
洪水で流された橋。水牛が見える
野宿できると思いきや…
野宿できると思いきや…
警察の皆さんのパーティーにお呼ばれ!!!! これがフィリピン・スタイル
警察の皆さんのパーティーにお呼ばれ!!!! これがフィリピン・スタイル
仲良くなった警察官と。
仲良くなった警察官と。

6日目  217

朝だ。起きなければ。あれ、ヤバい。なんか頭がぼぉーっとする。

気持ちも悪い。二度寝を決め込んだ。しばらくして再び目を覚ました。頭痛は幾分マシになっていたが、なんだか熱っぽい。吐き気もする。ふらふらと裏庭に降りていく。昨日の残り物の朝ご飯をごちそうになる。皆朝から「ジュースだジュース」と言いながらフィリピン地ビールを飲む。私は体よく断りながら駄弁る。FacebookなどSNSの連絡先を交換したりしながらだらだらと時間が過ぎてゆく。相変わらず頭痛が治まらない。しかし、いつまでも居座るわけにも行かないので、昼飯前に出発することにした。頭痛と吐き気と熱と下痢と腹痛。残り少ない資金、あまりに悪い体調。私は決断した。帰ろう。ニッポンへ。

 なぜこんな腹痛に襲われたか。私には心当たりがある。私は途中立ち寄ったスーパーで便意を催し、トイレに駆け込んだ。あまりに急いでいたため、紙を買い忘れた。海外のトイレは紙がないのが基本だ。手元には紙なんてない。ウォシュレットでもない。ああ、神()よ我を見放したもうたのか。私は数分の苦悩の末、あることを決意した。私はおもむろに

(自主規制) そして洗面所では石鹸がなかった。ゴシゴシ強く洗ったがやはり雑菌はしぶとかったと見える。

さて話を元に戻そう。私は50km先のトゥゲガラオまで走ることにした。うぅ頭痛い。しばらく走ると前方にMTB乗りが!当然追撃します。追いつき、話しかける。聞くと、どうやら彼は14歳。僕の目的地トゥゲガラオに住んでいるらしい。朝の4時から250km走ってきているらしい。何と!私もロードで一日250km走ったことがあるが、あれはなかなか疲れる。それをMTBで走ったと。素晴らしい。彼は今から馴染みの自転車屋さんに行くのだと言っていた。自転車屋。わたしが探しているものだ。飛行機輪行に必要不可欠なもの、段ボール。それも自転車が入るヤツ。それが置いてあるのは自転車屋くらいなものだ。探す手間が省けたぜ。その子としばらく走っていると彼がちょっと休憩しようと提案した。僕らは露店に寄り買い物をした。僕は彼に好きなフィリピン料理、フィリピン特有のお菓子はどれか聞いた。彼が教えてくれたものを食べてみた。鹿児島特産のあく巻きに酷似していた。そして、トゥゲガラオに到着。混雑した道路をするすると通り抜け、交差点を何度も曲がり、自転車屋に着いた。一人だったらきっともっと時間がかかったろう。自転車屋の店主は若く元気なあんちゃん。色々訊ねてきた。たくさんおしゃべりをし、ここから首都マニラにはどうやって帰ればいいのか聞いてみた。すると、近くからで出ているバスに乗ればいいよとのこと。自転車をパッキングして自転車屋を去ろうとしたとき、何と常連客でトライシクルの運ちゃんをしている人が僕と自転車をバスターミナルまで送ってくれたのだ!何てありがたい!

そうして私はフィリピンから逃げるようにして帰ってきた。

ここまで一万字近く書いてきているが、正直まだまだ書きたいことはいっっっっぱいある。

正直、書き切れる自信は無い。なので、ここら辺にしておこうと思う。

蛇足 フィリピンびっくりした事第一位山羊の血スープ

 

フィリピン総括

基本的にみんなフレンドリーだ。それでいて良い具合にテキトーだ。そういった点で私はフィリピンの空気感が心地よかった。しかし、それはある程度裕福な人たち、もしくは警備員や警察など武装している人だけで、少し道を外れて細い路地に入るととたんに人々の目は冷たく、刺すようなものになる。どこか物憂げでありながらスキあらば...と何かを狙っている、そんな雰囲気をにおわせるような人々が住んでいた。

残念ながらもう一度自転車で行こうとは思わなかった。

来年の夏の予定はもう決まっている。南米放浪だ。ブエノスアイレスからイグアスの滝、パンタナール大湿原へ。南米の豊かな河で釣りをしながらエル・ドラド、黄金郷を目指すのだ!

 

今回の反省を踏まえ、次回は潤沢な資金、適切な体調管理、種々の医薬品などをもって望もうと思う。リタイヤはしない。加藤の次回作に乞うご期待!!!!

少年MTB乗りと。フィリピン伝統お菓子を教えてもらった
少年MTB乗りと。フィリピン伝統お菓子を教えてもらった
お世話になった自転車店主と常連さん
お世話になった自転車店主と常連さん

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